私がはじめて、文化というものを認識したのが、中学校のときに行った奈良法隆寺にて「文化の渡来」の話を先生か・法隆寺の僧侶の方から聞いたときです。法隆寺の回廊の柱はエンタシスの柱といわれる上の部分と下の部分を徐々に細くしたデザインであり、ギリシャのパルテノン神殿の柱様式と一緒ということで、この膨らみが文化であるというような話だったと思います。柱は本来建物を支えるべきものであるため、強度を保つデザインでさえあればいいはずなのに、わざわざ手をかけて見栄えをよくしてあることに「無駄なことをするものだ」と、当時の私にはそれが何を意味するかを理解できなかったです。そして大人になってふたたび法隆寺に参堂してエンタシスの柱の膨らみに触れると、少しは成長したのか、そこにギリシャ彫刻のような華麗な様式美を見ることができました。私は滋賀県の田舎集落で育ちまして周りには建具職人さんが多くおられました。職人さんらに近づくと木のにおいがプーンとして「建具屋は夜なべして一人前」と言われるほど、工作機械の音が昼夜に響いていました。あれほど盛んだった地場産業が今はどうでしょうか。彼ら木工に携わる仲間内で「太子講」という、大工の祖とされる聖徳太子を奉讚する講中があって、年に何度か集まって聖徳太子さんの掛け軸をかけて祀られていたのがサラリーマンの私にはうらやましかったのですが、その太子講がいまどうなっているのか、聞くに聞けない状態です。令和も何年か過ぎた現在、小さな集落でそれこそウン百年も培われた職人文化は確実に崩壊の危機にあります。これはおそらく日本中のどこも同じだろうと思います。ほっとおいても伸びる文化もあれば、廃れてもう復古できない文化もあります。私にはどちらもどうする力はありませんが、今まさに力尽きようとしている文化の維持発展にできることで手を差し伸べることはできると思い、この文華舎を特定非営利活動法人で創立しました。今後、行政や企業はますます利に振り回され、益を追求するために色めきたち、デジタル的なことがますますもてはやされていくのだろうと想像します。そのはるか奥底で下支えしている、もしくは支えてきた数々の名もない文化は、どんなに優れてかけがえのないものであっても、利益にならない、売れないものは経済社会においては無用の長物とされてしまいます。はたしてそれでいいのだろうか? いいわけない。相手の喜ぶ顔を想像してひと手間もふた手間も加える。こうすればみんなも楽になるだろうと、あれこれ工夫をほどこす。自分が納得するまで研ぎ澄ます。こういった心意気が、ものづくりのベースにあったと思います。これは電源が落ちれば消えてしまうデジタル系の世界では決して創造しえない熱感ではないでしょうか。工芸文化、食文化、文字文化、宗教文化、伝統文化などなど、文化は限りなく人と共にあります。想像してみてください。文化のない世界、例えば柱がすべて四角だったら、例えば料理がすべてチン! で出来上がり、文字はすべてパソコンの文字で拝むことも感謝を伝えることも知らず、歴史に敬意が払われない社会だとしたら、私はゾッとします。幸いなことに私は1999年から全国有名寺院の高僧・名僧直筆の「墨蹟」(ぼくせき)携わることができ、名僧・高僧の方、それをたしなむ愛好者の皆様、それらの基盤を支える関係業者の皆様に教えていただき、文化のすばらしさに触れることができました。さらにいうと、これらをやろうと思ったきっかけは、今は亡き元彦根市長夫人でありました井伊文子さんとの出会いでした。井伊文子さんは琉球王朝最後のお姫様といわれ元華族の尚家のご出身で歌人としての文化活動や障害者支援活動にも熱心に従事されておりました。はじめて井伊文子さんにお会いした時のこと、お住いであったお浜御殿(現在は彦根市が所有)に訪問し駐車場に車を停めてふと見ると、井伊文子さんはお浜御殿の欄干に正座をされており、こちらの姿を見るなり深く頭を下げられました。一瞬何をされているか理解できませんでしたが、すぐにそれが、井伊文子さんの「おもてなし」のかたちであること、さらに彦根の井伊家の大奥様がこんな不肖の男にそんなことをして下さるのは申し訳ない。と、お浜御殿まで急いで行ったことは忘れえません。後で茶の大家でもあったご先祖の井伊直弼大老の『茶の湯一会集』を井伊文子さんが現代風に表された「茶湯一会―井伊直弼を慕って」を拝見し、茶の湯の心の一端を知り、さらに頭が下がりました。そんな井伊文子さんとの最後の会話の中に「墨蹟は素晴らしいものだから是非続けてくださいね」というのがあって、その呪縛、いやいや金言にほだされて、いまもかかわり続けています。本当にありがたいことだと思っています。文化があってこそ、世の中が華やかになるのです。その華やぎが人に希望と豊さをもたらし、社会がまわると思っています。文華舎事業を通じて文化の維持・発展、まずは文化事業に携われながら不安をかかえる人の心に寄り添るところから始め、絶滅してしまうかもしれない文化の一つでも維持発展させことに従事し、今日まで育てていただいた社会にお礼・お返しができればと思います。これからどうぞよろしくお願いいたします。

追伸、またいつかどこかでお会いしましょう。こんな長文読んでいただいたお礼にお茶でもおごりますよ。

令和3年4月1日

細溝高広 hosomizo@bunkasya.org